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サルファーたちは慌てて天幕から外に出た。回りに村人たちがいてよく見えない。向こう側からスイズの騎兵隊が進んでくるのが見える。その数は五十ほどで、とりあえず掻き集めたという感じだったが、その後ろは、槍と剣を掲げた歩兵が隊列を組んで歩いてくる。
 百か二百なのか、あるいはもっと……なのか、サルファーたちの位置からは把握できない。
 先頭の騎兵の長らしき者が、声を張り上げた。
 「嘆願書は確かに王にお渡しした」
 おおーーと喜びの声が広場に響く。馬が驚かぬよう手綱を引き締めながら、騎兵はさらに言った。
 「善処する……との王のお言葉である。以上だ。すみやかにこの場から立ち去れい」
 喜びの声が途絶え、辺りが静まりかえった。そしてザワザワと何を呟き合う声が広がっていく。
 「善処するって、どんな風に善処してくれるんだいっ!」
 そう叫んだのは、騎兵のすぐ近くにいた女である。騎兵はチラリと女を見ただけで答えようとしない。
 「息子はまだたった十四なのに徴兵されたよ! いつ返してくれるんだい? 上の息子は……もう帰って来ないんだよ! すぐ終わるすぐ終わるっていつ戦いは終わるんだい?」
 女は泣きながら騎兵を見上げて叫ぶ。
 「免税のことはどうなる?」
 「鉱山の改善は?」
 口々に皆は騒ぎ出した。騎兵は圧倒され、馬の前足で威嚇するような態度を取りながら数歩下がった。
 「そんなことはすぐに決められない。とにかく王は善処されると有り難くも仰せられたのだ!」
 「どんな風に善処してくれるのか、はっきり聞くまでここを離れないぞ!」
 民の声が何重にも重なっていく。
 サルファーとジンカイト、スモーキーは、ようやく人を掻き分け、騎兵隊の前まで歩み出た。
 「具体的な回答を頂きたい、と王にお伝え下さい」
 サルファーは声を張り上げた。
 「だからそんなことはすぐには……」
 「では、すぐに決めて頂きたい!」
 ジンカイトが騎兵を睨み付ける。
 騎兵は、また数歩下がった。そして他の者と何かを告げ合った後、後者の歩兵に合図をした。騎兵隊の後では、何か木材が組み立てられているようだった。
 「何やってんだ?」
 「さあ……」
 そんな呟きの中から、誰かが言った。
 「あれは……処刑台……じゃないか!」
 今度は広場を占拠している者たちが後ずさった。スイズ兵は、処刑台を五本打ち立て、それぞれに人を括り付けている。サルファーも、ジンカイトも、そしてスモーキーも知らない誰か農民のような身なりの者が処刑台に括り付けられ、その四人目の姿が見えた時、スモーキーたちは、驚きの声を上げた。サクルの父親だったのだ。そして、どこからか「お父さん、お父さーーん」と泣く声がする。サクルの声だった。それに気づいたクラヴィスが、「サクル! 何処だ! サクルーー!」と叫び、どこにいるか判らない彼の為に懸命に両手を挙げて振った。サクルは、人々の頭から突き出たクラヴィスの腕を見つけ、泣きながら人の合間をくぐり抜けクラヴィスたちのいる場所に行こうと必死になった。
 その間に処刑台には五人目の者が括り付けられた。
 「ゼン……」
 スモーキーは呆然と呟いた。
 「この者たちは、嘆願書を出す為に地方から来た者どもである。しかも、徴兵されたにも係わらず未だ指定の兵舎に出頭していない。よって、本日日暮れ、処刑する。お前たちの中にも、同じ様な徴兵逃れをしてここにやって来た者どもがいるはず! 今、すみやかに解散し指定の兵舎に向かうならば、この者と共に慈悲を持って免罪としてやろう。だが、これ以上、刃向かうとなると国への反逆罪と見なし、その場にて断罪する」
 騎兵が勝ち誇ったようにそう言うと、歩兵たちが処刑台の回りを取り囲んだ。
 「さあ、民を先導し、この場から立ち去るよう指示を出せ。さもなくば、この者たちの命は無い」
 騎兵はサルファーにそう告げると、彼らを蹴散らすように馬を歩かせた。丁度その時、ようやくサクルが、クラヴィスの元に辿り着いた。
 「お父さんが、お父さんが」
 サクルは泣きながら、クラヴィスに縋った。スモーキーが、サクルの肩に手を置き、何があった? と尋ねた。
 「南の兵舎ってとこでゼンの釈放を頼んだんだけど、鉱山からの逃亡者の触れ書きに、父さんの事が描いてあったんだよ。とても似ていて。ゼンは、スモーキーと一緒にルダで死んだことになってるからゼンは載っちゃいなかったけど、どうせ仲間だろうって。僕はまだ子どもだからって、放り出されて……」
 しゃくり上げながらサクルはそう言うと、ついにわあわあと泣き出してしまった。
 「サクル……」
 リュミエールは、居たたまれず彼の背中をさすり続けた。
 「くそぅ。見せしめだぜ……許せねぇ」
 大男は悔しそうに俯いたまま拳を握り締めている。他の鉱夫たちもスモーキーの回りに集まって来た。
 
 サルファーの回りでは、一旦は退いていた男たちが、女やまだ幼い子どもたちを後方に退かせて、麻袋にいれてあった剣や斧、棍棒など武器になりそうなものを手に取っていた。その動きを見ていたジンカイトは、彼に「どうするつもりか?」と聞いた。
 「もう……我慢ならない。やるしかない」
 顔を赤くして怒りに震えた声でサルファーは答えた。
 「待ってくれ。迂闊に行動したらあの処刑台の者たちが」
 スモーキーがそう言ったが、彼は首を横に振った。
 「大陽は頭上を越えた。今日はこの暑さだぞ。あの照りつける日差しの中で、日暮れまであんな風に括りつけられて無事でいられると思うか? 
端の男を見ろよ、ひどい怪我をしているぞ。それに俺たちが退却したからといって、本当に助けて貰えるのか? 一気に皆で押し寄せて、まずあの処刑台をぶっつぶすんだ!」
 「俺はやるぜ」
 大男は、そう言うとサルファーの仲間から、こん棒を受け取った。他の者たちも同じように、武器を取る。
 「しけた武器ばかりだけど、ないよりはマシだろう。こうなるだろうと予測して武器はちゃんと持参してきたんだ」
 北部から来た男たちは、南部から来た農夫や鉱夫たちに武器を押しつけて渡していく。クラヴィスたちの手にも槍や剣が渡された。
 「わかった……俺たちはゼンとサクルの親父を取り戻すんだ。むやみにスイズ兵と戦うなよ、いいな」
 スモーキーが、腹を決めて鉱夫仲間にそう言った。
 「リュミエール、剣を俺に貸せ」
 スモーキーは、リュミエールから剣を奪った。
 「お前は、下がっていろ」
 「でも!」
 「相手はスイズの国兵だ。騎兵の者たちは貴族の子弟だろうし、歩兵も半分はそうだろう。お前が今、ここで戦っちゃいけない。殺るにしても殺られるにしても、どっちもあってはならないことだ」
 スモーキーがそう言うと、ルヴァもリュミエールに向かって“その通りですよ”というように頷いた。
 「クラヴィス、お前もだ。綺麗事を言うようだが、お前は決して、どんな理由があろうとも人に手をかけてはいけない。自分の父親は誰だったか思い出せ。自分が、兄と一緒に、この地の和平を守っていかなければならない存在だと言うことも。それに……これを頼むよ」
 スモーキーは、自分の荷物をクラヴィスに押しつけた。中には、この道中に皆でまとめ上げた教皇庁へ提出する嘆願書と不正の事実を記した証拠の帳簿が入っている。
 「俺が万が一の時、お前がこれを教皇様の元へ」
 スモーキーが、そう言うとクラヴィスは不満顔ながらも頷いた。
 「ルヴァ、二人と一緒にどこかに身を隠していろ」
 スモーキーがそう言うと、「いやですよ」と、ルヴァは短く答え、樫の木で出来た長い杖のような棒を握りしめた。その先に小さな刀を括り付けてある槍代わりの粗末な武器だった。
 「お、おい。お前は文官だろう?」
 「あなただって鉱夫でしょう? ここにいる人たちは、ほとんど農民や職人じゃないですか。それに私は戦うんじゃありません。ゼンたちを助けるだけです」
 ルヴァは、そう言うと、まっすぐに処刑台を見つめた。ぐったりとしたゼンの姿が見えている。殴られたらしく口元が腫れている。
 スモーキーは、もう何も言わなかった。皆の手に武器が行き渡ったかどうか確かめていたサルファーは、騎兵の長に向か直った。
 「これが王の返事か? 善処すると言った王の返事が、この見せしめの処刑なのか?」
 だが騎兵隊の長は、ふんと鼻でそれを嗤った。
 「ダダスとの戦いは勝利目前だと言うのに、兵役を逃れ、日々の仕事に従事もせず、王都に押し寄せてくるだけでも罪となろうものを、ここまで譲歩してやっているのだ」
 その冷たい言い様に広場の誰もが怒りを募らせてゆく。
 「貴族の輩に話は通じないようだな……」
 サルファーは、剣の切っ先を騎兵に向けた。
 「この私に刃を向けたな。平民ごときが! それだけで断罪に値するのだぞ!」
 その怒号が合図となった。大男は、騎兵隊の前で、こん棒を振りかざし、スモーキーとルヴァは処刑台へと向かって走り出した。同じように処刑台の者を助けようとする者、スイズの騎兵と歩兵
に向かって突進していく者、人の波が大きなうねりとなって広場を覆い尽くす。怒鳴り声に悲鳴が混じっている。誰かが切られ、血飛沫が飛んだのがクラヴィスの目に映る。リュミエールの横では、人波に押された者が足を痛めて倒れ込んでいる。
 それぞれに自分の身の回りの怪我人に肩を貸し、女や年寄りたちが控えている後方へと運んでは、また広場へと戻り別の怪我人に手を貸すことをクラヴィスとリュミエールは繰り返した。
 「処刑台が倒れるぞーっ」
 やがて、叫び声と共に木材を台座から引き抜こうとする軋む音がした。クラヴィスとリュミエールがその方向を見ると、処刑台から救われたゼンが大男に抱えられている所だった。ゼンが大男とともに飛び退いた瞬間、処刑台がギシギシと大きな音をたてて倒れていく。その下敷きになるまいと逃げまどう騎兵が、そこに人がいることにも構わず馬を鞭打つ。馬の嘶きと
、それに蹴られた者の絶叫が、広場中に響き渡る。
 「もうやめて……止めて下さい……」とリュミエールは呟き、腹の底から迫り上がってくるような嗚咽を堪えて、次の怪我人に肩を貸していた。
 五本全部の処刑台が打ち倒された後、サルファーは、一旦、退くように皆に叫んだ。彼の言葉を聞いていた前方の者たちも口々に一時撤退を後方の者に促す。スイズ兵たちも憔悴している。騎兵はわずかに残っているだけだった。
 「退け、退けーっ、王城に一旦退くのだー」騎兵の長の声が響くと、満ちていた潮が退いていくように広場からスイズ兵の姿が消えた。そこかしこに動かぬまま倒れている者たち以外は……。
 
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